
Disk1
私、この展覧会の生演奏聴きました
最初、「えらい遅いな〜、これじゃあ最後まで持たないだろう… 」と思いました。
ところが、予期に反し、音楽が抜けないのです。それどころか、「スコアにこんな音まで書いてたのか? 今まで聞いてたのは何だったんだ!… 」
そして、自分の心臓の高鳴りを聞きながら、震えながら、最後までその音楽に身をゆだねていたのです。
今、思い出しても涙が出てきます。
壮絶の一言!
個人的にチェリビダッケを知ったのは、1980年のロンドン交響楽団来日時にNHK−FMでの実況中継だった。何の先入観もなく、コダーイの「ガランタ組曲」の演奏が始まるや、尋常でない雰囲気に、慌ててエアチェックを開始した。そのため、カセットテープには曲の途中から録音されている。そして「展覧会の絵」の止まりそうな遅さに驚嘆した。その後90年代に放送録音によるブートCDを買いあさり、遂にEMIから正式なCDが発売される事になり、直ぐに購入。その時には、NHKがロシアと共同で曲の元となった画家ハルトマンの絵を調査し遂に「ヴィドロ」が牛が引く車という言葉の裏にある「惨殺」という事実を悲しんで書かれた事が判明するという番組を見ていたため、チェリビダッケがそれを知っているかかどうか解らないが、まさしく「悲しみ」に溢れた表現に圧倒された。以前にジュリーニの指揮による同曲のCDがこれに近い遅さだったが、チェリビダッケはクライマックスでの「キエフの大門」でエナジーを爆発させる!これを壮演といわずして何と言う?まず、他の指揮者の盤を聴いてからこれを聴いてみれば、この凄さが解るはず。もう他の指揮者では聴けなくなりますよ!
スローの大作
はじめて聞いたときは、ボレロについてやや遅い感じだがあまり違和感なく聞けた印象だった。そして展覧会の絵はさらに遅いが個人的には許容範囲ぎりぎりの線だと思いつつ聞いていた。が、キエフの大門に達したときには・・・しびれました。何でしびれたか?不思議で考えてみましたが最初から流れるスローペースの中をだんだん馴らされていき、キエフ~に到達したときにたっぷり時間を使い大地を踏み鳴らすかの如く大迫力で・・・圧倒されました。このキエフ~単品で聞くと”遅いな~これは何なんだ”と思いますがそのように聞いてはだめです。最初から一連の流れを聞くとチェリビダッケの物語が始まり、その世界が広がる(洗脳される??)、そしてキエフの大門では圧倒される。感動する。それでいいじゃないですか。・・・??勝手な意見ですみません。参考にならないかも?
一期一会・・・天国の大門
この音楽の偉大な価値が、ようやくに理解できた。なぜ手塚治虫は、アニメ大作に、この曲を選択したのか?なぜ「エマーソン・レイク&パーマー」は、「死は生」という大げさな歌詞を付けたのか?「キエフの大門」は、ロシアの特定の門ではなかった。それは、天国に開く巨大な門だったのだ。今までの演奏では、それがわからなかった。テンポは遅くない。これで正しい。感情の高まる壮大なうなりは、この流れでないと生じない。何度も聴ける音楽ではない。一期一会である。しかし、このCDは曲に潜在する価値を、最大限に啓示する。希有な名演である。
初心者にも薦めていいのだろう。
チェリビダッケ。彼の晩年の演奏は牛の歩みのようにのっしのっしと進行する。が、決してえっちらおっちらではないことには注意だ。必ず目的地があって、そこに向かってじっくり進んでいるのだ。
この歩みののろさが最も如実に現れるのがこの「展覧会の絵」と「ボレロ」ではないかと思う。「ボレロ」なんざ、あんなゆっくり着実にもっていったらどっかで粗が出そうなものだが、決して破綻しない。破綻せず頂上まで行くのが感動的なのだ。
普通のテンポのものが欲しいという人には決して薦めない。薦めないけれども、その前に「普通って何?」と問いつめて、「確かに他の演奏に比べてかなり遅いけれども、いい演奏があるんだ」と言うかもしれない。結局是が非でも薦めたくなるのだ。いい演奏というのはテンポによるものではない。やはりなんらかのスピリットによるのだ。この演奏にはそれがあるときっぱり断言する。
テンポがどうテクニックがどうと言うのは、小賢しいかもしれない。この演奏をもし生で聴いていたら、ということを想像しながら聴いてみてほしい。感動間違いなしだ。
本当にそこまで言っていいんでしょうか……いや、いいと思うんです。