
Disk1
日曜の午後に<こんな音楽>を聴いていてよいのか??
『威風堂々』で有名なグレートブリテンを代表する作曲家エルガーは、17世紀バロックのパーセル以来、同国史上久しぶりに登場した大作曲家である(とされることが多い)。
なぜこの間、「1人も」偉大な作曲家が生まれなかったのかについては、他にどんな議論があるのか知らないが、宗教改革におけるリーダーの資質の違いという点を指摘する論者もいる。
歌舞音曲を禁止するタリバン流原理主義者クロムウェルと、音楽を愛好し、神を賛美する手段としても音楽を活用・奨励し、自ら作曲もこなしたルターとの違い(中野雄の指摘)。
1934年に亡くなったエルガーの生涯について、評者は詳しく知らないが、例えばドイツのフルトヴェングラーとの対比で言うとどういう政治的位置づけができるであろうか? 作曲家と指揮者の違いよりも、時代を同じくし(少し年齢は違うが)、国家における指導的な音楽家という点で、対比し得ると思われるのだが。クルト・リースの『フルトヴェングラー』(みすず書房)には何か書いていたかな?
以上はともかく。
過日、世評も高いチェロ・コンチェルトのスタジオ録音を久しぶりに聴いてみて、改めて深く感動していたら、同じコンビ(デュプレ&バルビローリ)のライブ盤の存在を知ったので、急ぎ購入して聴いてみた。う〜ん。物凄い!!! 明日は月曜なのに、日曜の午後にこんな音楽を聴いていてよいのかとさえ思い、不安になった。
スタジオ録音盤の価値は変わらないが、こちらは一層聴きやすいかもしれない。こういう音を「分離がよい」と業界では言うのだろうか?
この作品を愛する人には是非とも聴いて欲しいディスクである。ここには音楽という不可思議精妙な現象の全てがあり、時に音楽を超えるもの、音という物理現象を超える何かがある。
もし、強権的な指導者(タリバンかどうかは知らないが)が政権を執ったりしたら、この音楽は禁止されるのではなかろうか。